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[全日语]穂高岳槍ヶ岳縦走記(三)

发表时间:2012/4/10 字号调整:字体缩小|字体放大

穂高岳槍ヶ岳縦走記

鵜殿正雄

                                                               三 南穂高岳

 午前十一時十五分、遂に、南穂高岳「信濃、又四郎岳、嘉門次」「信濃、奥穂高岳、並木氏」「信濃、前穂高岳、徹蔵氏」一等三角点の下にじ、一息して晴雨計を見ると約三千米突。最高峰の南に位するゆえ、南穂高岳と命名した。
 先刻より気づこうていた霧は、果然包囲攻撃してくる、まるで手のつけようはない、打ってもついても、音もなければ手応てごたえもない、折角せっかく自然の大観に接しようとしたがこの始末、そこでやぐらに登り中食をしながら附近を見る、櫓柱は朽ちてなかば以上形なし、東下の石小屋は、屋根が壊れていて天套テントでもなければ宿れそうもない、たまたま霧の間から横尾谷の大雪渓と、岳川谷たけがわだに千仞せんじんの底より南方に尾を走らしているのが、瞬間的に光るのを見た。
 やがて、米人フィシャー氏、嘉与吉を案内として、南口から直接登って来た、氏は昨夜温泉で、わが行を聞き、同一逕路けいろを取らんため来たのである。いつまで待っても、れそうもなければ、正午一行と別れ、予とフ氏とは、嘉門次父子を先鋒せんぽうとし、陸地測量部員の他、前人未知の奥穂高を指す。北の方嶮崖けんがいを下る八、九丁で、南穂高と最高峰とを連ねている最低部、横尾谷より来ると、この辺が登れそうに見えるがはなはだ危険だ、奥穂高と北穂高との間を通るがよい。霧は次第に深く、かてて雨、止むを得ず合羽かっぱまとい、岩陰で暫時雨を避け、小降りの折を見て、また登り始める。

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