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婦人解放について

来源:日语论坛发表时间:2008/7/17字号:T|T
婦人解放について  孔子曰く、「ただ女子と小人は養い難しとなす。これを近づくれば不遜、これを遠ざくれば怨む。」女子と小人を同類項に入れているが、彼の母親を包括したかどうかはわからない。後世の道学先生た...

婦人解放について

 孔子曰く、「ただ女子と小人は養い難しとなす。これを近づくれば不遜、これを遠ざくれば怨む。」女子と小人を同類項に入れているが、彼の母親を包括したかどうかはわからない。後世の道学先生たちは、母親に対して、ともかく表面では尊敬している。しかしそれにしても、中国の母たる女性は、やはり自分の息子以外の一切の男性の軽蔑を受けているのである。
 辛亥(しんがい)革命後、参政権のために、有名な沈佩貞(シェンペイチョン)女士は議院の門衛を蹴飛ばしたことがあった。しかし私はそれは彼が自分から転んだのではないかと大いに疑念を抱いている。仮りに我々男に蹴とばされたとすれば、彼はきっと幾つもこちらを蹴とばし返したにちがいない。これは女の得な点である。まだある。今日一部の夫人がたは、羽振りのよい男と肩を並べて立ち、埠頭や会場で一緒に写真に撮ることができる。或いは汽船や飛行機が動き出す前に、前に出て行って酒瓶を叩きつける(これは令嬢でないといけないかも知れない。私はそのへんの詳しいことは知らない)。これもやはり女の得な点である。この外にも、新しくいろんな職業ができた。もっとも女工は、賃銀が低く、しかもよく言うことを聴くために、工場主が喜んで採用しているわけだが、これは別として、その外では大抵ただ女であるというだけのために、一面「花瓶」(体裁がよいだけで役に立たぬもの、女への罵称)などといわれながらも、常に「サービスは一切女子に致させております」という光栄ある広告が出ている次第である。もし男がそんな工合に突然に出世したいと思ったら、単に元来の男性のままでは駄目だ。少なくとも犬に生れ変らぬことには駄目である。
 これは五・四運動後、婦人解放提唱以来の成果である。しかし我々は今なお職業婦人の痛苦の呻吟と、評論家の新式女子に対する嘲笑を絶えず耳にする。彼女たちは家庭から社会に出て来たのだが、実は又しても人々の冗談と議論の新しい資料になっているのである。
 これは彼女たちが社会には出たものの、まだ人の「養」に頼っているためである。人の「養」を必要とする限り、人の小言も聴かねばならぬし、甚だしきは侮辱さえも受けなければならない。我々は孔子の小言を見ると、彼が「養」いたいが「難」く、「これを近づけ」ても「これを遠ざけ」ても、どっちもあまり工合よく行かなかったためだということがわかる。これは今日の堂々たる男子、大丈夫に共通する歎息でもある。また女に共通する苦痛でもある。「養う」と「養われる」との限界が消滅しない限り、この歎息と苦痛は永遠に消滅しないだろう。
 まだ改革されぬ今の社会においては、単独の新型模様は、おしなべてみな一枚の看板にすぎない。実際上、前と全然変りはないのだ。一羽の小鳥を籠の中に入れておくか、竿の上に止まらせておくかで、地位はいかにも変ったように見えるが、実はやはり同じように人のおもちゃにされて、一飲一啄、ただ他人の命のままに動いているのである。俗諺に「食わせて貰えば、使われる」というのは、このことである。だから一切の女子は、男子と同等の経済権を得ない限り、どんなよい名前がつこうが、みな空言であると私は思う。むろん、生理的心理的に、男女は差別があるし、同性の中でも、互いに多少の差別は免れないが、しかし地位は同等であるべきである。地位が同等となって、はじめて真の女と男が生れ、はじめて歎息と苦痛をなくすことができるだろう。
 真の解放の前は、戦闘である。だからといって、女は男と同様に鉄砲を取らねばならぬとか、自分の子供に一方の乳だけ吸わせて、あとの半分は男に負担させろというのでは決してない。私はただ、目前の一時の位置に甘んずることなく、絶えず思想、経済等々の解放のために戦うべきであるというのである。社会を解放することは、自己を解放することでもある。だがむろん、単に現存の婦人のみが有する桎梏(しっこく)のために戦うことも、やはり必要である。
 私は婦人問題を研究したことがない。もし私がどうしても何か言わねばならぬとすれば、こんな空談しかできない。
   (十月二十一日)

关于妇女解放

 

  孔子曰:“唯女子与小人为难养也,近之则不逊,远之则怨。”〔2〕女子与小人归在一类里,但不知道是否也包括了他的母亲。后来的道学先生们,对于母亲,表面上总算是敬重的了,然而虽然如此,中国的为母的女性,还受着自己儿子以外的一切男性的轻蔑。

  辛亥革命后,为了参政权,有名的沈佩贞〔3〕女士曾经一脚踢倒过议院门口的守卫。不过我很疑心那是他自己跌倒的,假使我们男人去踢罢,他一定会还踢你几脚。这是做女子便宜的地方。还有,现在有些太太们,可以和阔男人并肩而立,在码头或会场上照一个照相;或者当汽船飞机开始行动之前,到前面去敲碎一个酒瓶〔4〕(这或者非小姐不可也说不定,我不知道那详细)了,也还是做女子的便宜的地方。此外,又新有了各样的职业,除女工,为的是她们工钱低,又听话,因此为厂主所乐用的不算外,别的就大抵只因为是女子,所以一面虽然被称为“花瓶”,一面也常有“一切招待,全用女子”的光荣的广告。男子倘要这么突然的飞黄腾达,单靠原来的男性是不行的他至少非变狗不可。

  这是五四运动后,提倡了妇女解放以来的成绩。不过我们还常常听到职业妇女的痛苦的呻吟,评论家的对于新式女子的讥笑。她们从闺阁走出,到了社会上,其实是又成为给大家开玩笑,发议论的新资料了。

  这是因为她们虽然到了社会上,还是靠着别人的“养”;要别人“养”,就得听人的唠叨,甚而至于侮辱。我们看看孔夫子的唠叨,就知道他是为了要“养”而“难”,“近之”“远之”都不十分妥帖的缘故。这也是现在的男子汉大丈夫的一般的叹息。也是女子的一般的苦痛。在没有消灭“养”和“被养”的界限以前,这叹息和苦痛是永远不会消灭的。这并未改革的社会里,一切单独的新花样,都不过一块招牌,实际上和先前并无两样。拿一匹小鸟关在笼中,或给站在竿子上,地位好象改变了,其实还只是一样的在给别人做玩意,一饮一啄,都听命于别人。俗语说:“受人一饭,听人使唤”,就是这。所以一切女子,倘不得到和男子同等的经济权,我以为所有好名目,就都是空话。自然,在生理和心理上,男女是有差别的;即在同性中,彼此也都不免有些差别,然而地位却应该同等。必须地位同等之后,才会有真的女人和男人,才会消失了叹息和苦痛。

  在真的解放之前,是战斗。但我并非说,女人应该和男人一样的拿枪,或者只给自己的孩子吸一只奶,而使男子去负担那一半。我只以为应该不自苟安于目前暂时的位置,而不断的为解放思想,经济等等而战斗。解放了社会,也就解放了自己。但自然,单为了现存的惟妇女所独有的桎梏而斗争,也还是必要的。

  我没有研究过妇女问题,倘使必须我说几句,就只有这一点空话。

  十月二十一日。

  BB

  〔1〕本篇最初曾否发表于报刊,未详。

  〔2〕这段话见《论语·阳货》。

  〔3〕沈佩贞浙江杭州人,辛亥革命时组织“女子北伐队”,民国初年曾任袁世凯总统府顾问。

  〔4〕这是西方传入的一种仪式,叫掷瓶礼:在船舰、飞机首航前,由官眷或女界名流将一瓶系有彩带的香槟酒在船身或机身上掷碎,以示祝贺。

 

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