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われわれは批評家を必要とする

来源:日语论坛发表时间:2008/6/2字号:T|T
われわれは批評家を必要とする  大たいの状況から見て(いま確実な統計を得られないが)、去年から「革命的」という看板をかけた創作小説の読者はもう減少して、出版界の傾向は、社会科学の方へ移っているようだ。...

われわれは批評家を必要とする

 大たいの状況から見て(いま確実な統計を得られないが)、去年から「革命的」という看板をかけた創作小説の読者はもう減少して、出版界の傾向は、社会科学の方へ移っているようだ。これはよい現象だといわねばならない。最初、わかい読者層は、広告式批評の呪文に迷わされて、「革命的」な創作を読めば活路があり、自分も社会も救われると思って、手当たり次第につまんで来ては、大口に飲み込んだ、ところがその多くは滋養品ではなくて、新しい袋にいれたすっぱい酒、赤い紙(赤い紙で肉を包装する)に包んだ腐れ肉で、それを食った結果は、胸がむかむかして、嘔気をもよおしそうだった。
 このような苦しい教訓を得てから、一転してさらに根本的な、切実な社会科学にその医療を求めるのは、もちろん、これは一つの正当な前進である。
 しかし、その大部分は市場の需要によるものだが、社会科学の訳著はまた蜂の巣をつついたように群がって出てきた、比較的見るべき価値あるものと、何の役にも立たないものが一しょに本屋の店頭に雑然と並べられて、正確な知識をえようとし出した読者たちは戸惑いしている。だが新しい批評家たちは口をつぐんで語らず、批評家のような顔をしたものどもがそのすきに、「犬猫」呼ばわりして、いきなり抹殺する。
 こういう情勢で、われわれが必要とするのは、幾人かの堅実な、よく分った、本当に社会科学およびその文芸理論を理解している批評家だけである。
 批評家は、中国ではもうずいぶん前から出ている。どの文学団体にも、大てい一揃の文学的人物をもっている。少なくとも、一人の詩人、一人の小説家、また一人の、その団体の光栄と功績を宣伝する仕事に身をささげる批評家がいる。これらの団体は、みな改革を志し、古い堡塁に向って攻勢をとるのだといっている、ところが中途で、つまり古い堡塁の下で、ごたごたと自分たちでねじ倒しの喧嘩をする、ねじり合って双方がくたくたに疲れたとき、やっと手を引く、「ねじり合い」だけのことだから、大きな傷はない、ただ息が苦しいくらいのものもある。ハアハア息を切らしながら、お互に自分の方が勝ったのだと思って、凱歌をうたう。古い堡塁の上では全然守兵をつかわない、ただ懐手をしてのぞきこみ、これらの新しい敵が勝手に演じる喜劇を見おろしていればいい。何もいわないで、彼らは勝ったのだ。
 この二年間、極めてすぐれた創作は出ていないが、それでも私の見たところでは、単行本には、李守章(りーしゅーちあん)の『跋渉する人々』、台静農(たいちんのん)の『地の子』、葉永蓁(しゅゆんちぇん)の『小さな十年』の前半部、柔石(ろーしー)の『二月』及び『旧時代の死』、魏金枝(うぇいちんちー)の『七通の手紙の自伝』、劉一夢(りゅういーもん)の『失業して』などは、とにかくすぐれた作品である。残念なことにわれわれの有名な批評家は、梁実秋(りあんしーちう)氏が陳西瀅(ちぇんしーいん)と馴れ合いであることは、ここにふれるまでもなく、成仿吾(ちょんふぁんうー)氏は創造社の過ぎさった光栄をなつかしがって、急に身をひるがえして「石厚生(しーほーしょん)」(成仿吾のペンネーム)となったかと思うと、すぐまた流星のように消え失せてしまった、銭杏邨(ちぇんしんつん)氏はもっぱら『拓荒者』によって、蔵原惟人を引っぱっては、次から次へと、茅盾(まおとん)(沈雁冰の筆名、小説家、批評家、現在の人民政府政務院文化部部長、中国作家協会主席)と取っ組み合いをやっている。それぞれの文学団体以外の作品は、このような多忙な、あるいは閑散な戦場では、「追っ払」われるか、黙殺されてしまう。(「追っ払う」というのは前に成仿吾の使った言葉)
 近ごろの読書界が社会科学へ傾いたことは、好ましい、正しい転機であって、他の面に有益であるばかりでなく、文芸にとっても、それを正確な、前進の方向へ促すであろう。ただし出版されるものが乱雑であり、また傍観者がそれを冷笑している中では、極めて容易に枯れしぼんでしまう、だから今まず何よりも必要なものは、やっぱり――
 幾人かの堅実な、よく分った、本当に社会科学およびその文芸理論を理解している批評家である。

我们要批评家①

  看大概的情形(我们这里得不到确凿的统计),从去年以来,挂着“革命的”的招牌的创作小说的读者已经减少,出版界的趋势,已在转向社会科学了。这不能不说是好现象。最初,青年的读者迷于广告式批评的符咒,以为读了“革命的”创作,便有出路,自己和社会,都可以得救,于是随手拈来,大口吞下,不料许多许多是并不是滋养品,是新袋子里的酸酒,红纸包里的烂肉,那结果,是吃得胸<