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【中日对照】今日の新文学の概観/现今的新文学的概观(鲁迅《三闲集》)

来源:日语论坛发表时间:2008/5/26字号:T|T
今日の新文学の概観   ――五月二十二日燕京大学国文学会で講演――  この一年あまり、私は青年諸君にあまり話をしませんでした、それは革命以来(清党以来をさす)言論の道が大へんせばめられて、すぐに過激だ...

今日の新文学の概観
   ――五月二十二日燕京大学国文学会で講演――

 この一年あまり、私は青年諸君にあまり話をしませんでした、それは革命以来(清党以来をさす)言論の道が大へんせばめられて、すぐに過激だとか、反動だとかいわれるので、おたがいに何の益(えき)にもならないからです。今度北京にかえってきたら、昔なじみの人たちが私にここへ出て何か話をしろとのことで、ことわるわけにも行かず、やむをえずお話に参りました。けれどもいろいろと細かい用事にとりまぎれ、とうとう何をお話したものか、考えをまとめることもできず――題目さえきまっていないのです。
 その題目を、実はここへ来る車のなかできめようと考えたのですが、道路が悪くて、自動車が一尺もとびあがる次第で、どうにも考えることができませんでした。そこでふと題にうかんだことですが、外来のものは、一つだけ取りいれるのではだめで、自動車を取りいれるなら、よい道路もなくてはいけない、一切のことはすべて環境の影響をまぬがれることはできないのだから、ということです。文学――中国のいわゆる新文学も、いわゆる革命文学もやはり例外ではありません。
 中国の文化は、たとえどのような愛国者でも、恐らく大ていは遅れていることを認めねばならないと思います。新しい事物は、すべて外から入ってきます。新しい勢力がいざやってくると、大多数の人には何のことやら訳がわからない。北平はまだそれほどでもありませんが、たとえば上海の租界は、どうかというに、外国人がまん中にいて、その外側を、通訳、探偵、租界巡査、西洋小使……といった類(たぐ)いがぐるりと取りまいていて、これらは外国語を知っており、租界規則に通じたものです。この囲みの外側でなければ一般の民衆は住むことが許されないのです。
 一般の人が、この租界へ来ても、いつまでたっても本当の事情は分かりません、外国人がYesという、それを通訳は「横っつらを一つなぐれといっている」と訳す。外国人がNoという、それが通訳されると、「銃殺にしろ」といっている、ということになる。もしもこの無茶苦茶な冤罪の苦しみを免れたいと思うならば、何よりもまず、少しでも多く事情を知って、この囲みをつきやぶることであります。
 文学の世界でも同じです、われわれはあまりに事情を知らないのだし、またわれわれに知識をあたえる材料もあまりにわずかです。梁実秋(りあんしーちゅう)にはバビットがあり、徐志摩(しゅーちーも)にはタゴールがあり、胡適之(ふーしーちー)にはデューイがあり、――そうです、徐志摩にはもう一人マンスフィールドがいます、彼は彼女の墓まいりをして泣いたのです――創造社には革命文学、いま流行の文学があります。だが附和するものや、創作するものはいくらでもいますが、研究する人は少ないのです、ずっと今日まで、それらの題目を出した幾人かの人によって取り囲まれてしまっているのです。
 いろいろな文学は、すべて環境に応じて生まれるものです、文芸を有難がる人々は、文芸によって世の中に風波をまき起こすことができるとよくいいます、しかし事実は政治が先行して、文芸はあとから変わるのです。もし文芸によって環境を変えることができると考えたとしたら、それは「唯心」的な話で、事実の表れかたは、けっして文学者の予想するようなものではありません。ですから大きな革命の場合には、革命以前のいわゆる革命文学者は消えて行くわけで、革命に多少とも目鼻がつき、息をつく余裕ができると、そこではじめて新しい革命文学者がでてくるのです。どうしてかというと、古い社会がまさに崩壊しようとする前になると、大てい革命性を帯びたように見える文学作品がでてくるものです、しかし実際は決してほんとうの革命文学ではありません。たとえば、あるものは古い社会を憎みますが、しかしそれはただ憎むというだけで、将来に対する理想はさらにない、あるものはまた社会を改造すると大に叫ぶが、さてどういう社会にするのだと聞けば、それは実現のできないユートピアだったりする、あるものは自分が生きることに退屈して、漠然と世の中がひっくりかえることを望み、それを刺激にする、ちょうどたらふく飲んだり食ったりした人が、唐辛子をなめて口をさっぱりさせようとするのと同じです。またもっと下劣なのは、元来が旧式な人間であるのに、社会で失敗したので、そこで新しい看板をかけかえて、新興の勢力にたよって、もっといい地位を得ようとするものです。
 革命を希望した文人で、革命になるとかえって沈黙して行ったという例は中国にもありました。たとえば清(しん)末の南社(なんしゃ)がそれです、これは革命を煽動した文学団体で、彼らは漢民族の抑圧されるのを歎き、満州人の横暴