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【中日对照】花なきバラの三/无花的蔷薇之三(鲁迅《华盖集续编》)

来源:日语论坛发表时间:2008/4/7字号:T|T
【中日对照】花なきバラの三/无花的蔷薇之三(鲁迅《华盖集续编》) 花なきバラの三    1  天津につんである印刷紙が北京に運ばれず、出版まで大へん戦争の影響をうけている、私の以前の雑誌をまとめた『華蓋...

【中日对照】花なきバラの三/无花的蔷薇之三(鲁迅《华盖集续编》)

花なきバラの三

   1

 天津につんである印刷紙が北京に運ばれず、出版まで大へん戦争の影響をうけている、私の以前の雑誌をまとめた『華蓋集』も印刷に出して二ヵ月になるが、組版はまだ半分にも達しない。残念ながら先に発表した予告は、そのため陳源(チェンユァン)教授の「反広告」を引き出すことになった――
 「私は魯迅先生の人格を尊敬しないからといって、彼の小説をよくないということはできない、また彼の小説に感服するからといって、彼のその他の文章を称賛するわけにも行かない。彼の雑感は、『熱風』の中の二、三編を除いて、実は一読の価値もないと私は思う。」(『現代評論』七十一、『間話』)
 これはなんと公平であることか! 元来、私も「今は昔に及ばない」であったのだ、『華蓋集』の売れゆきは、『熱風』にくらべたら、恐らく一そう悲観すべきであろう。そして、私が小説を書くのは、「人格」と関係しないとは、どうも意外であった。「非人格」的な一種の文章、たとえば新聞記事のようなものが、かえって教授を「感服」させるのである、中国はまた日に日にすばらしい訳の分らなさを見るおもいである、そうすると「実に一読の価値もない」雑感も、ひょっとしたら存在することになるかも知れない。

   2

 あの有名な小説ドン・キホーテを書いたセルバンテス氏は、貧乏した揚句にこれを書いたので、彼はまるで乞食のようであったといわれる、だがこれは中国の学者たちの間に特別に流行している一種の流言にすぎない。彼はドン・キホーテは騎士物語をよんで気が変になり、自分で騎士になって、非道なものをやっつけに行くと書いている。彼の身内はそれは書物に取りつかれているのだと知って、隣の理髪屋をよんで来て、書物をしらべてもらう、理髪屋は数冊の良書を選び出して残し、そのほかは焼きすててしまった。
 多分、焼きすてたのだったと思うが、ハッキリ覚えていない、またどれくらいの冊数であったかも忘れた。だが考えてみると、その選に入った「良書」の作家たちは、その時、小説の中に入れられた書付けをみて、恐らくは顔を赤らめ耳をほてらして苦笑せずにはおられなかったことだろう。
 中国はしかし日に日にすばらしい訳の分らなさを見るおもいである。けれども、ああ哀しいかな! われわれは「苦笑」さえもできない。

   3

 他省にいる人が速達をよこして私の安否をたずねてきた。彼は北京の状況をよく知らないので、流言のワナにかかったのである。
 北京のデマ新聞は、袁世凱(ユァンシーカイ)の帝位僭称、張勲(チャンシュン)の復辟(ふくへき)、章士釗(チャンシーチャオ)の「学風の整頓」よりこの方、ひきつづいて、ずっとこうである。今日でもむろんこうである。
 第一の手で、某方面が某校を封鎖し、某人、某人を逮捕しようとしている、という。これはその某校や某人にわざと見せて、おどかすためだ。
 第二の手では、某校はもう空っぽで、某人はもう逃走した、という。これは某方面にわざと見せて、煽動するためだ。
 また別の手では、某方面では既に甲校を捜査したから、今度は乙校が捜査されるだろう、という。これは乙校をおどかし、某方面を煽動するのだ。
「平生やましいことをしていなければ、夜半に門をたたかれても驚くことはない」というが、乙校は心にやましさがなかったら、おどかしに乗るわけがあろうか? だが、少々不安があってもバタバタしないことだ。また一つの手で、乙校は昨夜、夜どおしかかって、赤化書籍を完全に焼却した、という。
 そこで甲校は誤伝を訂正して、捜査をうけたことはないといい、乙校は誤伝を訂正して、そのような書籍はないという。

   4

 そこで道徳を擁護する新聞記者や、円満温厚な大学校長までも六国飯店(リゥコーファンテン)(当時の北京の一流ホテル)に泊りこみ、公理を説く大新聞も看板をとりはずし、学校の販売部も『現代評論』を売らない始末で、「火、崑岡(こんこう)(玉の産地という)に燃えれば、玉も石も一しょに焚(や)く」といった有様で、良いものも悪いものも一切が被害者になるわけだ。
 実際はそこまでは行かない、と私は思う。だが、デマというやつは、デマをつくる者の本心が希望している事実であることは確かだ、われわれはこれによって一部の人の思想と行為を見ることができる。

   5

 中華民国九年七月に直隷(ちょくれい)派と安徽(あんき)派の戦争がはじまった、八月に安徽軍が潰滅(かいめつ)し、徐樹錚(シューシューチェン)など九人は日本公使館に逃げこんだ。このときにちょっとした余興があって、若干の正人君子が――現在の若干の正人君子ではない――直隷派の軍人のところへ行って、改革論者を殺してくれと頼んだものである。結局それは実現をみなかったし、この事ももう人々の記憶からは消えてしまった。だが試みに同年八月の『北京日報』をひらけば、大広告をみることができる、その中には大英雄が勝利を得た後は、必ず邪説を粛清し、異端者を誅戮すべきであるといったようなたぐいの古めかしい名文句がある。
 その広告には署名がある。ここにそれを持ち出す必要はない。ただし、これを現在のような暗がりに身をかくしてばかりいる流言家にくらべると、かえって「今は昔に及ばない」の感あるを免れない。百年前は現在よりも好く、千年前は百年前よりも好く、万年前は千年前よりも好かった……ということは、特に中国ではあるいは確かだろうと私は思う。

   6

 新聞雑誌の一隅に、いつも青年たちへの、ねんごろな教訓が見える、文字の書かれている紙を大切にせよとか、国学に心を向けよとか、イプセンはこうだ、ロマン・ローランはああだとか。時代と文章とはちがっている、しかし意味は私にはもう耳慣れたものに思われる、私が子供のときに聞いた老大家の教訓とそっくりだ。
 これでは何だか「今は昔に及ばない」ということの反証のようである。だが、世間のことにはいつも例外がある、右の一節でふれたことも、一つの例外とされるだろう。
   (五月六日)

  无花的蔷薇之三

  1

  积在天津的纸张运不到北京,连印书也颇受战争的影响,我的旧杂感的结集《华盖集》付印两月了,排校还不到一半。可惜先登了一个预告,以致引出陈源教授的“反广告”来——

  “我不能因为我不尊敬鲁迅先生的人格,就不说他的小说好,我也不能因为佩服他的小说,就称赞他其余的文章。我觉得他的杂感,除了《热风》中二三篇外,实在没有一读之价值。”(《现代评论》七十一,《闲话》。)

  这多么公平!原来我也是“今不如古”了;《华盖集》的销路,比起《热风》来,恐怕要较为悲观。而且,我的作小说,竟不料是和“人格”无关的。“非人格”的一种文字,像新闻记事一般的,倒会使教授“佩服”,中国又仿佛日见其光怪陆离了似的,然则“实在没有一读之价值”的杂感,也许还要存在罢。

  2

  做那有名的小说《Don Quijote》①的M. de Cervantes先生,穷则有之,说他像叫化子,可不过是一种特别流行于中国学者间的流言。他说Don Quijote看游侠小说看疯了,便自己去做侠客,打不平。他的亲人知道是书籍作的怪,就请了间壁的理发匠来检查;理发匠选出几部好的留下来,其余的便都烧掉了。

  大概是烧掉的罢,记不清楚了;也忘了是多少种。想来,那些入选的“好书”的作家们,当时看了这小说里的书单,怕总免不了要面红耳赤地苦笑的罢。

  中国虽然似乎日见其光怪陆离了。然而,乌乎哀哉!我们连“苦笑”也得不到。

  3

  有人从外省寄快信来问我平安否。他不熟于北京的情形,上了流言的当了。

  北京的流言报,是从袁世凯称帝,张勋复辟,章士钊“整顿学风”以还,一脉相传,历来如此的。现在自然也如此。

  第一步曰:某方要封闭某校,捕拿某人某人了。这是造给某校某人看,恐吓恐吓的。

  第二步曰:某校已空虚,某人已逃走了。这是造给某方看,煽动煽动的。

  又一步曰:某方已搜检甲校,将搜检乙校了。这是恐吓乙校,煽动某方的。

  “平生不作亏心事,夜半敲门不吃惊。”乙校不自心虚,怎能给恐吓呢?然而,少安毋躁罢。还有一步曰:乙校昨夜通宵达旦,将赤化书籍完全焚烧矣。

  于是甲校更正,说并未搜检;乙校更正,说并无此项书籍云。

  4

  于是连卫道的新闻

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