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【中日对照】堅壁清野主義/坚壁清野主义(鲁迅)

来源:日语论坛发表时间:2008/2/14字号:T|T
堅壁清野主義 最近、私は中国の社会において、いくつかの主義を発見した。その一つが堅壁清野主義である。「堅壁清野」というのは兵家(へいか)の言葉である。兵家は私の本業ではない。だから、この言葉は兵家から...
堅壁清野主義 

 最近、私は中国の社会において、いくつかの主義を発見した。その一つが堅壁清野主義である。 
「堅壁清野」というのは兵家(へいか)の言葉である。兵家は私の本業ではない。だから、この言葉は兵家から仕入れたものではなく、他の書物で見るか、社会で聞くかしてきたものだ。こんどの欧州戦争で最も重要なのは塹壕戦だったということだが、そうすれば、今日でもこの戦法――「堅壁」戦法を使っていることになる。「清野」戦法については、世界史上、面白い実例がある。十九世紀のはじめ、ナポレオンがロシアに攻めこんで、モスクワに達した時、ロシア人はその得意の清野戦法を発揮した。つまり同時にこの地方に火を放って、生活に必要なものをすっかり焼きはらい、ナポレオンと彼の勇兵猛将を空っぽの都に招待して、西北風をたんまりと吸わせてやったのだ。彼らはこの御馳走に閉口して、一と月もせぬうちに、とうとう退却してしまったといわれている。 
 中国は儒教国で、年々孔子を祭り、つまり「爼豆(そとう)(祭器)のこおは曾(か)つてこれを聞けり、軍旅のことは丘(きゅう)(孔子の名)いまだ学ばざるなり」(論語)というわけであるが、そのくせ、上から下までこの兵法を用いている。私がこの戦法を発見するきっかけを作ったのは、今月の新聞記事であった。それによれば、教育当局は、公共娯楽場で頻々と風俗壊乱の事件がおきるため、各学校に対して、女学生が遊芸場や公園に行くのを禁止するよう命令を発し、同時に女学生の家族にも、この禁止命令に協力するように通知したというのである。もちろん、私は、このことが確かかどうか、よく知っているわけではない。ことにその命令の原文も見ていない。それで、教育当局の主旨は、娯楽場での「風俗壊乱」事件が女学生によって起こされるからその立ち入りを禁ずるというのか、それとも、女学生さえ来なかったら、ほかの人間は事件を起こさないというのか、あるいは、起こしてもそれは放ったらかしておくというのか、そのへんのこともわからない。 
 多分、あとの推測が事実に近いだろう。われらが古代の哲人も現代の賢人も、口を開けば「根本を正し、源を清める」とか「天下を澄まし清める」とか言う。だが、たいていは口先ばかりで、そんな気持はなく、つまり「おのれ正しからずして、よく人を正すものなし」というわけで、その結果、しまっておくということになる。第一には、「おのれの心をもって、人の心をはかり」、もっぱら「欲するものを見せないことによって、民心を乱さない」ようにしようと考える。第二は、心がまえだけはこんなに大きいが、実際には決して「天下を澄ませ清める」力がないので、金持の唯一の経済法のように、金を自分の地の下に埋めておくような具合にやるしかない。昔の聖人も「戸じまりをなおざりにするのは盗みを教え、顔かたちをなまめかしくするのは淫を教える」と教えているが、これは、子女や財産をしまっておく方法は、堅壁清野でなければならぬという意味である。 
 だが、実をいうと、この方法は、中国では、つとに行われている。北京を除いて、私が行ったことのあるところでは、どこでもたいてい男と力仕事をしている女とを見かけるだけで、いわゆる上流の婦人にはほとんどお目にかからなかった。だがここで前もって声明しておくが、私がこのような現象に不満なのは、決して中国を遍歴してあらゆる御婦人や御令嬢方をぬすみ見しようという下心があってのことではない。一文の旅費の積立てもしていないことが、その何よりの証拠である。今年は「流言」横行の時代で、ちょっとうっかりすると、たちまち『現代評論』に持ってまわった筆つきで書かれるので、特に前もってことわっておく。さてここで、名儒をひきあいに出すと、彼らは同じ家庭内でも男と女とが容易に顔を合わせられないように工夫した。霍渭厓(かくいがい)(明代の学者で政治家、霍韜)の『家訓』の中には、男女を区別した、実にややこしい家屋の構造図が出ている。聖人賢者たらんと志した人々は、自分の家をも、遊芸場や公園と見なさなければならなかったらしい。それに比べると、今日はさすがに二十世紀だし、おまけに「若くして不羇(ふき)の名を負い、長じて自由の説を習った」という教育総長(章士釗のこと)がいらっしゃるのだから、実際、はるかに寛大なものである。 
 北京ではあまり婦人をとじこめたりしない。婦人が外を出あるいていても、あまり侮辱を加えない土地柄である。しかし、これはわが古えの哲人や今日の人の考えとは相反するもので、ことによれば、この風俗は満州人が輸入したものかもしれない。満州人はかつてわれわれの「聖上」となったので、その風俗に従わなければならなかったのだろう。しかしながら、今日は決して、民国革命の時に辮髪を切ったように、排満運動をやっているわけではないのだから、あれは昔の悪い癖が再発したのだろう、と私は思う。現に、旧正月の爆竹が日ましに盛んになるのを見るがいい。魏忠賢(ぎちゅうけん)(明代の宦官で横暴な独裁政治家)のような人間がもう一人あらわれて、彼の養子になって、彼を孔子廟に孔子と一緒に祀ってくれるものがあるかどうか、われわれを試験してくれることのないのが、残念である。 
 風俗をよくするには、人間性を解放し、教育、特に性教育を普及することである。これはまさに教育者のなさねばならぬことで、「しまっておく」のは牢屋の番をする獄卒兄貴(あにい)の専門である。それに社会のことは牢屋のように簡単ではない。長城を築いても、胡人(えびす)はやっぱりあとからあとからとやってきて、深い堀も高い堡塁も、全く役立たなかった。遊芸場や公園というものがまだなかったころ、大家の女子は外出しなかったが、貧乏な家の女は縁日にも出かけるし、お祭り見物にも行った。しかし「風俗壊乱」的なことが、名家名門より多かったとは、誰にも言えないだろう。 
 要するに、社会を改良しないかぎり、「しまっておく」のでは何の役にも立たぬ。「しまっておく」ことを社会改良の手段にしようとするのは、津浦線の列車に乗って奉天に行こうとするようなものである。この道理はきわめて解りやすいはずである。壁は堅固でも、突き破ることのできるものだ。兵匪が「人質」を取り、婦人を掠奪したのは、教化にとってどうだというのか? 知らないのか、それとも、知っていても言えないのか、敢えて言おうとしないのか? かえってその功徳をたたえているのではないか! 
 その実、「堅壁清野」は兵家の一法ではあるが、しかしこれは結局、退いて守ることであって、進んで攻めることではない。多分、この点が、たまたま普通の人々の退嬰主義と合致しているために、意気投合したのであろう。だが、軍事上では別に待つものがある。援軍の到着、あるいは敵軍の退却を待つのである。ただ孤立無援の城にたてこもっているだけだったら、その結果はただ滅亡あるのみだ。しからば教育上の「堅壁清野」の法において、待つところのものは何であるか? 従来の女の教えによって推測すれば、待つところのものはただ一つ、死ぬことである。 
 天下が太平であるか、または曲りなりにも一時の小康を保っている時には、男というものは鹿爪らしく従順貞節を教え、しとやかさを説き、「女の言葉はしきいより出でず」であり、「男女は自ら物の受け渡しをせず」であるわけだ。結構である! では万事仰せのとおりにして、家庭外のことはあなたにおまかせしましょう。ところで天下が鼎(かなえ)のわき立つように乱れ、暴力がおそいかかってくると、あなたは何といって教えられたでしょうか? 曰く、烈婦となれ! 
 宋(そう)以来、婦女子に対する方法は、ただこの一つであった。そして今もって、この一つだけだ。 
 もしもこの女の教えが本当に大いに行われていたとしたら、わが中国には、これまで幾多の内乱あり、外患あり、兵燹(へいせん)もしきりに続いたのであるから、婦女子はことごとく死んでしまったのではないか? そうではなかった。運よくまぬがれたものもあり、死ななかったものもあって、朝代の変るとき、男と一緒に降伏して、奴隷になった。かくて子孫を生み育て、先祖のまつりも幸いにして断たれなかったわけだ。しかし今日なお奴隷根性を持った人間が沢山いるのは、多分その弊害ではあるまいか。「利あれば必ず弊あり」とは、昔からの言い伝えであり、人の誰しも知っているところである。 
 だが、これより外には、儒者も、名臣も、富豪も、武人も、ボス、乃至は平民も、誰一人良い方法が考え出せなかったとみえて、やはりこれを何よりの宝物として奉(たてまつ)るより仕方がなかったのであろう。もっとわからぬ連中になると、意見が自分と違っているというだけで、相手を土匪にしてしまう。役人の反対は匪であるから、それもたしかに当然なことだが。もっとも最近、孫美瑤(すんめいやお)は抱犢クー(ウ冠に『固』)(ぱおとーくー)に拠って守ったが(孫美瑤という土匪の頭目が、山東省臨城附近で津浦線の列車を襲い、中外人の人質を拉し去って、これを抱犢谷に隠匿した事件)、あれは「堅壁」しただけだ。「清野」の名人としては、私は張献忠(ちょうけんちゅう)(明末、四川省に猛威をふるった流冠の首領)を推したい。 
 張献忠が明末に民衆を虐殺したことは、誰も知っており、誰もおそろしいことだと思っている。たとえば彼はABC三つの部隊に命じて民衆を殺しつくさせた後、ABにCを殺させ、またAにBを殺させ、またAに仲間どうし殺し合いをさせた。なぜか? 李自成
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